年末恒例の与那国島で、このブログを書いています。2024年6月末で電通を退社。福井秀明事務所を設立し、7月からフリーのコピーライターとして再出発しましたが、時間がたつのは早いですね。あっという間に個人事業主としての1期目が終わろうとしています(個人事業主の決算は12月)。この半年で感じたこと考えたことがたくさんあるので、書き残しておきたいと思います。半年で9つって多すぎだろと自分でも思いましたが、書いているうちにあれもこれもと増えてしまいました。環境が大きく変わって精神的に敏感になっているために、いろんなことに気づけたのかもしれません。気づきのレベルはバラバラなのでその点はご容赦いただけますと幸いです。
①意外と大丈夫だった。
「社会人歴=電通人歴」だった自分にとって、27年間在籍した電通を辞めるのはとても勇気のいることでした。ところがいざ飛び出してみると、あれ、意外と大丈夫だなこれ、という感じです。「電通は人生そのもの」くらいのことを思っていた自分ですが、電通人生が終わってからも自分の人生が普通に続いていることに驚いています。何を当たり前のことを言ってるんだと思われるかもしれませんが、自分にとっては、天動説から地動説に変わったくらいの大変化です。自分の立ち位置が変わると、世界がまるで違って見えるんですね。この視点の変化が、もしかすると独立の最大の収穫かもしれません。会社員時代には総務人事経理の方々がやってくれていた事務作業を自分でやらなければならなかったり、電通という威力抜群の看板を持たずにサバイブしなければならなかったり、大変なことは多いのですが、それらがすべて、今後のよりよい人生の肥やしになると信じられる環境です。独立して良かった!と本当に思えるのはもう少し先になるかもしれませんが、少なくとも現時点では全く後悔していませんし、2024年の春に独立を決意した自分を褒めてあげたいと思っています。
②「そこそこ忙しい」という幸せ。
会社を辞めるのが初めてだったので、辞めた後のことをまったくイメージできずに辞めました。仕事ゼロ・収入ゼロからの再スタートをリアルに覚悟していましたが、意外や意外、そこそこ忙しい日々を過ごしています。そこそこ忙しいとは具体的にどれくらいなのかというと、「打合せ・プレゼン・撮影・編集・試写などが何もない、という日が一日もない」という感じ。毎日何かの締め切りがあり、毎日何かを書いて、毎日何かを誰かに説明しています。朝9時から夜10時まで予定がびっしり埋まっていた電通時代ほどではありませんが(あれは本当に忙しかった。いま思うとよくやってたな…)、そこそこ忙しく、そこそこ自由時間もある毎日。想定を遥かに上回る、出来過ぎの滑り出しです。辞める前は、きっと暇になるだろうから平日にさくっとダイビング行っちゃおうとか思っていたのですが、そうはならず、今年もダイビングは年末の与那国だけになりました(いまここ)。電通時代の案件をいくつか継続させてもらえただけで十分ありがたいのですが、いろんな方から新規案件をお声がけいただき、ありがたい限りです。内容は、広告案件と非広告案件が、半々といったところ。広告も非広告も、両方やることが自分のパフォーマンスに相乗効果を生み出すことが経験的にわかっているので、これまたありがたい限りです。案件の多くは「独立祝い」の意味合いもあると感じており、人の優しさが身に沁みます。皆様からいただいたご恩に報いるべく、一つひとつの仕事で「福井に頼んでよかった」と思っていただけるよう、全力を注ぐ毎日です。
③森で生きることだけが、植物の生き方ではない。
突然ですが、小島よしおさんの生き方にとても共感しています。「そんなの関係ねえ!」で華々しくデビューしたものの一発屋として苦しい時期を経て、試行錯誤を重ねた結果、最近ではお笑い番組にはほとんど出演せず、子どもに大人気の確固たるポジションを築いていることはみなさんご存知の通りです。独立を検討している時に彼の著書『雑草はすごいっ!』を読みました。その中に、こんなことが書いてありました。
森は植物にとって恵まれた場所である。
しかし、森で生きることだけが、植物の生き方ではない。
森の外で生きる成功もある。
森は植物にとって恵まれた環境である一方で、光や水や栄養を他の植物と奪い合わなければ生存できないレッドオーシャンです。我々が街中で目にしている雑草は、そのレッドオーシャンから飛び出し、必ずしも居心地のいい環境ではないが、競争相手の少ないブルーオーシャンでしたたかに生存しているということです。この話に感銘を受けた僕は、「電通で生きることだけが、福井秀明の生き方ではない」と考え、独立に傾いていったのでした。僕が電通を辞める決断ができたのは、雑草のおかげなのです。一度の人生ですからね。このように新しい世界に踏み出せただけでも、独立してよかったと思っています。
④自分の時間を自分で管理できる喜び。
電通時代は自分のスケジュールが社内に公開されており、自分の意思とは関係なくスケジュールが埋まっていきました。当時はあまり意識していませんでしたが、いま思うと、これがかなりストレスだったようです。会社員である以上、労働時間を会社に提供するのは当然ですから、その時間を自分でコントロールできなくても文句は言えません。朝9時から夜10時まで、隙間という隙間に、打合せやプレゼンがどんどん入ってくる。はじめのうちは、毎日1,2時間、自分の企画時間を確保していましたが、打合わせを入れる時間がなくなってくると、「福井さん、ここ企画の時間になってますが、打合せ可能ですか?」と問い合わせが来て、確保していた企画時間を解放する、というやりとりが面倒になり、そのうち自分の企画時間を確保するのをやめました。それからはスケジューリングについては自分の意思は0%となりました。独立後、大きく変わったのがここですね。自分の時間を自分で管理できる。ちょっと大袈裟かもしれませんが、自分の人生を生きている実感があります。この実感を獲得できたのも、独立の大きな収穫だったかもしれません。
⑤「外したら次はない」というプレッシャー。
独立してから、「なんか、とにかく、毎日疲れるなあ」という日々が続きました。やっている仕事の内容は電通時代と変わっていないし、忙しさは大幅に軽減されている。なのに毎日仕事が終わる頃にはグッタリと疲れている。なぜだ?どうしてこんなに疲れるんだ?自分なりに分析した結果、「外したら次はない」というプレッシャーではないか、と見ています。電通時代に手を抜いていたわけではないのですが、会社員だと、たとえひとつの仕事で失敗しても、ひとつのクライアントをクビになったとしても、他に仕事はいっぱいありますから、仕事にあぶれてしまうという不安はそれほどありません。この心理的安全性があるからこそ、フルスイングで仕事できるということでもあります。会社員の最大のメリットがこれです。一方、フリーになると、「福井イマイチだな」と思われたら、二度と声をかけてもらえないという恐怖感がつきまといます。やっていることは同じだし、同じように全力で仕事をしているわけなのですが、この「外したら次はない」というプレッシャーは、精神的にまあまあ来ますね。半年たち、少し慣れてきたような気はしていますが。とはいえ、このプレッシャーは本質的に必要なものかもしれません。うまく付き合いながらやっていけたらいいなと思っています。
⑥マネジメント業務がなくなったのは、少し寂しい。
日々の勤怠管理、定期的な1 on 1ミーティング、成果面談、フィードバック面談など、部長としてのマネジメント業務がゼロになり、すべての時間を自分のために使えるようになりました。電通を辞める前は、かなり楽しみにしていたところです。ところが実際にそうなってみると、ちょっと寂しい思いをしています。部員のみなさんが日々何をしているのか把握しながら、1 on 1で仕事の悩みや将来のキャリアについて一緒に考えたり、社の方針を自分なりに解釈して伝えたり、評価をどうやってフィードバックすればいいかと思い悩んだり、あのいろんな時間がいきなりなくなってしまったことで、心にぽっかりと穴が空いた気分です。部員のみなさんと過ごす時間は、自分の一部になっていたようですね。この寂しさにも、少しずつ慣れていくといいなと思っています。
⑦お金の勉強が収入に直結する。
会社員時代との大きな違いのひとつが「節税」です。会社員時代は「ふるさと納税」と「企業型確定拠出年金(DC)」くらいしかやっていませんでしたが、個人事業主になると、節税の手段がグッと増えました。仕事上の出費を経費にして課税所得を下げるのは基本として、「小規模企業共済」や「経営セーフティ共済(これは開業2年目からしか入れないので来年からやる)」や「個人型確定拠出年金(iDeCo)」などなど。「納税は義務だが、節税は権利である。」という言葉が好きで、どうしたらもっと節税できるかを調べて考えて実践するのが楽しいです。節税は稼ぐ力や景気に左右されずに確実に収入を増やせる方法ですからね。『お金のこと何もわからないままフリーランスになっちゃいましたが税金で損しない方法を教えてください!』『フリーランス必見!税理士TikTokerの経理・節税Q&A』『税理士YouTuberが“本音”で教える日本一わかりやすいひとり社長の節税』を読んで勉強しました。1冊だとちょっと不安だったので3冊読みましたが、結局みんな同じこと言ってるなという感じで、大事なポイントを見極めながら学ぶことができました。おかげで、税理士さんとの会話にもついていけるようになりました。いずれの著者もYouTubeチャンネルを持たれているので、本で基本的な知識を身につけつつ、YouTubeで最新の情報を入手するようにしています。ちなみに独立した人と会うと、節税の話で盛り上がりますね。「えー、それ経費にできるんですか?」「法人になると、そんなことができるんですね!」とか。知らないと損することが、世の中にはたくさんあります。まさに知は力です。
⑧健康がすべて。
健康に対する意識は高い方だと思いますが、個人事業主になって、健康の必要性をより一層感じています。電通時代は、「風邪で数日休みます」「インフルエンザで一週間休みます」とか割と平気で言えました。少しくらい休んだからといって、その間はチームのメンバーがフォローしてくれますし、戻った時に自分の居場所がなくなっている、ということはないからです。フリーランスは、そうはいきません。体調不良で仕事に穴を開けたら、おそらく次から声がかからないでしょう。「体調管理も仕事のうち」とよく言いますが、「体調管理こそ最大の仕事」というのが実感です。規則正しい生活をして、ジムに週2回以上通い、食べ過ぎず、飲み過ぎず(たまに飲み過ぎますが、回数はだいぶ減りました)、体調が低下した時は速やかに回復させることを心がけています。そして大切なのが、健康診断ですね。電通時代は、年に一度、誕生月検診というものがあり、社内の施設で一通りの健康診断をしてもらっていました。これがなくなったので、さてどうしようと。僕はがんの家系なので、自分はかなりの確率でがんを経験すると考えています。70歳まで元気に仕事をすることを目標にしている僕にとって、がんをいかに早期発見するかは重要な問題です。僕が住んでいる江東区では、いくつかのがん検診があります。それはそれでありがたいのですが、すい臓がん検診はなかったりして、全身をチェックできる人間ドックを探していたちょうどその時、友人がfacebookで人間ドックを勧める投稿をしていました。すかさず連絡したら、おすすめの人間ドックをいくつか教えていただき、自分に合ったところを選び、予約完了。安い買い物ではありませんが(個人事業主の場合、健康診断は経費にならない)、健康がすべてですからね。これで、体調管理の課題はひとまず解決です。病気のすべてを自分でコントロールすることはできませんが、自分でコントロールできることを決めて手を打つことで、精神的な平穏を手に入れることができました。
⑨短距離走から、長距離走へ。
電通時代は、ずっと短距離走を繰り返してきたイメージです。「この半年で、この一年で、どれだけ成果を出したか」が、社からの評価に直結するからです。数年後にはこんなことができるようになっていたいというような中長期的な目標はあるにはありましたが、どうしても「目の前の半年、一年を全力で走り切ること」がメインになっていました。それがフリーランスになり、成果レポートを提出する上司がいなくなり、僕を評価するのはクライアントの皆様だけという、ある意味シンプルな構造になりました。すると自分の中で、「ずっと走り続けられること」のプライオリティが急上昇してきたのです。もちろん「目の前の一つひとつの仕事で期待を超えること」は依然としてトッププライオリティですが、70歳までの約20年間を、これまでのように短距離走を繰り返すやり方では、ちょっと走り切れないかも、と思うようになりました。もはや完全におっさんだし。気力体力はどうしても落ちていくだろうし。これからも走り続けるのですが、なるべく疲れなくてずっと走れる走り方を身につける必要があるなぁと。昔、ラグビーの強豪チームが「試合終了まで走り続けられるように、疲れない走り方を研究している」というドキュメンタリー番組を見た記憶があり、そういうことを自分の仕事にも取り入れていけたらと考えています。この分野については、これから研究していきます。
「For Patient」町のお医者さんのような存在をめざして。
仕事ゼロ・収入ゼロを覚悟していたのに、そこそこ忙しくやらせていただいている幸せを噛み締めている2024年の年末です。ただ、今年は良くても、来年はどうなるかわからない。そんな不安定な存在だからこそ、お声がけいただいた皆様に感謝し、一つひとつのご縁を大切にしていきたいと思っています。困っている人がいつでも相談に来られる存在であること。なるべく早くお困りの原因を特定して解決策を出せること。たとえすぐに解決できなくても、自分と関わることで、困っている人が少し安心できるような、そんな存在になれたらと思っています。イメージは町のお医者さんです。2025年が、皆様にとっていい年でありますように。何か困ったことがありましたら、お気軽にお声がけください。駆けつけます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの人生にとって少しでもプラスになる情報をお届けできたらうれしいです。ではまた。