かなり話題になっていたので、読まれた方も多いのではないでしょうか。僕もSNSで回ってきたこの答辞を読みました。打ちのめされました。完膚なきまでに。高校生でこんな文章を書けるのか。いや、高校生でとか、高校生なのにとか、そういうレベルではない。そもそも僕、大人だけど、プロのコピーライターだけど、こんな知的で教養ほとばしる文章書けないです。両手をあげて降参です。感動と敗北感の洪水の中で、何度も何度も読み返しました。何度読んでも素晴らしい。というか、読むほどに好きになる。おそらく歴史に残るであろうこの文章について、批評や分析ではなく、自分の好きな気持ちを形に残しておきたいと思いました。
まずは、桐朋高校の公式ホームページの中の「TOHO Today」に掲載されていた答辞の全文です。まだ読んでいない方は、ぜひどうぞ。読んだことがある方も、あらためて読んでみてください。その際、黙読でもいいのですが、できれば声に出して読むことをおすすめします。音読したほうが、この文章をより深く味わうことができるように思います。
卒業式答辞
ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきは、巡り巡ってアメリカ・テキサス州のハリケーンの原因となりうるでしょうか。1972年、アメリカの気象学者エドワード・ローレンツは正確な気象予報の困難さをこのように例え、初期条件の僅かな違いが観測結果に大きな影響を与えることを示しました。ローレンツのこの問いはやがて「バタフライエフェクト」として大衆文化にも受容され「偶然に導かれた数奇な因果関係」を意味する言葉として用いられています。本日体育館の外に吹いている朗らかで少し物寂しい風も、ともすると3年前・6年前初めてこの学校に足を踏みいれた時の肌寒く不安な風の名残なのかもしれません。
自らの歩みを振り返り、新たな日々を予感させる春風が吹くこの佳き日に、桐朋高等学校78期、293名の卒業式を挙行くださること、卒業生を代表し感謝申し上げます。そして6年間僕達に知的好奇心の入り口を開け続けてくださった先生方、また何より18年間僕達の成長を見守ってくださった保護者の皆様に、重ねて御礼申し上げます。
振り返ると78期は常に風と共に歩んできました。2019年4月1日、「平成」に替わる新元号「令和」の発表。出典の万葉集に曰く、「初春の令月にして、気淑く風和らぎ…」しかし、令和最初に吹いた「風」は通常の「風邪」を遥かに凌駕した未知の感染症でした。「期末試験は中止です」最後の登校日、担任の先生が複雑な表情でそう告げた時、歓喜の声を上げた僕たちのそばで一人下を向いていた友人が流した悔し涙が、コロナの残酷さを如実に物語っていました。憎たらしいほどの青空の下で、僕たちの中学修学旅行は、部活の試合は、そして何よりマスクの下に見るはずだった皆の笑顔は、全て「不要不急」の4文字に淘汰されていき、その鬱憤を誰のせいにもできない葛藤の毎日が続きました。それでも、時計の針は進み続けます。たとえそれが黒板に打ち付けられた腕時計の針であっても。桐朋祭は3年ぶりの有観客開催となり、熱狂の渦を取り戻しました。無事に迎えられた高校修学旅行、旅館の屋根の上、あるいは大文字山から見た京都の星空は、さぞ格別なものだったでしょう。「7回学んで8回笑え」修学旅行のこのスローガンは元々「7回笑って8回学べ」だったそうです。最後は笑いたいよね、実行委員のその一言で少しだけ変わったこのスローガンからは、一生ものの信念を感じます。
しかし、僕達のこの信念は、決して既存体制への反骨心に基づくものではなく、僕らに本質的に内在する潤澤な学びと笑いへの希求である、僕はそう思います。僕達でなくして誰が、壊れたプリンターで射的をしたでしょうか。電子研は78期の学びある笑いの象徴でした。僕達でなくして誰が、教室のベランダにガーデンテラスを作ったでしょうか。中学最後のスポ大、掟破り瀬戸際のクラTを着て優勝した3年1組が、僕はとても羨ましかった。僕達でなくして誰が、数学の問題集より分厚い修学旅行のパンフレットを作ったでしょうか。学校説明会に来た小学生がこれを見て目を輝かせていたのは忘れられません。CreationとImaginationが同じ「そうぞう」という音なのは日本語の奇跡としか言いようがありませんが、僕達にとってこの両者はもはや同一でした。そしてまたこれも言葉の綾ですが「そうぞう」はえてして騒々しい――群馬県警を呼び、1年1組の天井を破壊し、あるインドカレー店と癒着ができました。ともかく、78期はなんというか、豪快でパワフル。学年閉鎖をことごとく回避し「馬鹿は風邪をひかない」あまりのうるささに呆れ顔で言われたその言葉ですら、僕達には誇らしく感じられました。馬鹿と言えば、これまた「そうぞう」の一環として、生徒による学年通信「馬鹿たれ」を想起した方も多いことでしょう。学年目標を冠した本家「大鵬たれ」のパロディとして作られたこの「馬鹿たれ」、後付けではありますが、かのスティーブ・ジョブズの演説も由来の1つだそうです。 “stay foolish stay hungry”僕達はこの演説を高2英語総合の授業で学ぶことになります。偶然、ちょうどそのころ、この演説を扱ったある番組がNHKで放送されました。1人の細やかな営みの連鎖が、世界を動かす、と語られるこのシリーズ番組は、また偶然にも僕たちが高1の世界史で学んだ「映像の世紀」の続編で、その名も「映像の世紀 バタフライエフェクト」 2022年11月7日の放送回では、「世界を変えた愚か者」としてご存知ジョブズと、彼に影響を与えた思想家バックミンスター・フラーが紹介されていました。フラーは人類の持続可能な発展についての先駆的概念「宇宙船地球号」の提唱で知られています。バタフライエフェクトと「宇宙船地球号」はともに、いかなる矮小な存在も雄大な世界の要素であることから逃れられないことを示しました。1人の細やかな営みの連鎖が、世界を動かす。情報化社会と呼ばれる今日、それはいよいよ僕ら若者のレベルですら現実となりつつあります。絶えず大衆を突き動かし、ふと消えていくこれらの動きは、まさに風と形容するに相応しい。ですが、風そのものはいかなる善悪も吉凶も帯びていません。曖昧で流動的で得体がしれない、だからつい単純化し、意味づけしたくなるだけなのです。0か1かで定義されるデジタル技術が世界を支配する一方、0と1の間の無限の可能性を認める多様性、個性といった言葉が盛んに繰り返されています。しかし、個性的とは決して固定的なものではない、まして赤の他人から全角140字で押し付けられるものではない、僕は同級生の底知れぬ人間力と接する度にそう思います。僕達が一生かけて取り組む問題集には別冊の解答解説なんてついていません。解説されてたまるものか。解答なんてあるはずもない、だけれども、あるいはだからこそ、その問題を直視し、従うべき、逆らうべき風を判断せねばなりません。
さてこの“stay foolish stay hungry” “be foolish be hungry”ではありません。僕達はいつまでfoolish、馬鹿でいられるのでしょうか。無知を馬鹿というならば、僕は永遠に馬鹿で構わない。無知とは、また新たな何かを学べるということであり、学びとはすなわちその奥に未知が存在することへの知覚なのですから。高1の時、担任の先生がこう言っていたのを思い出します。「学ぶ意味なんて学びきるまで分からない、でも意味がわからないから学ばないってのは、あまりに安直だよね」学びには王道もなければ聖域もない。永久の学びを志向する者ならば、他者に対し冷笑的、厭世的な態度で臨むことは許されません。
馬鹿は風邪をひかない――己の無知を自覚し、故に学び続ける「馬鹿」であるならば、流言飛語やデマといった一時的な「風」に惑わされることはないはずです。未成年という防風林が除去された僕たちには、今後多くの逆風が吹きつけるでしょう。時には向きを変え、その逆風を追い風に変えることも重要な戦略1つです。ですが、青臭いかもしれないが、コロナ禍を乗り越えた学年として、いやそうでなくとも78期として言わせてほしい。逆風を味わうことができるのは、前に進む者だけだ、と。
さらに僕達はそう遠くない未来、風を受ける側から風をおこす側になるでしょう。最後にこんな話を紹介させてください。ある日、生徒会の意見箱に右翼や左翼といった言葉を使って特定の政治思想を中傷するものが投書されていたことがありました。どう返信しようかと悩み、そのまま机に置いて帰った次の日、誰の字とは分かりませんが、しかしはっきりと次のようなことが書かれていました。「片方の翼だけでは、鳥は空を飛べません」 僕達が大鵬ならば、両方の翼を自在に使いこなせる大鵬でありたい。大鵬は古代中国における季節風の象徴だという説があります。中国大陸の南、太平洋を吹き抜ける季節風は、古来より貿易船の帆を押し、東西文明の融合、新たな文化の隆興を育んできました。1匹の蝶でさえハリケーンを引き起こすなら、293羽の大鵬は何をもたらすのでしょうか。僕達がおこす風もまた、曖昧な他者を融合させ誰かの「そうぞう」の一助となると信じています。
桐の朋。ですがけっして「これっきりのとも」ではないはずです。
数千里の翼を伸ばして校舎の外に尚も広く晴れ渡る大空を悠々と、颯爽と翔けていく我ら大鵬。
78期が飛び立つ空に、学びあれそして笑いあれ。
78期よいつまでも、馬鹿な大鵬であり続けよう。2024年3月2日 78期卒業生代表 土田淳真
いかがでしょうか。すごいですよね。それではここから、この文章に対する個人的な好きポイントを書いていきます。
好きポイント① サービス精神がすごい。
ホームページには、答辞の全文の前に、このような文章が添えられていました。
「卒業生代表の土田淳真です。78期の卒業にあたり、答辞の名誉にあずかりましたことを大変光栄に思っております。このたびの答辞を作るにあたり、78期の全てを詰め合わせるという思いで、卒業生293名全員の氏名から1文字ずつとって本文に組み込む、ということに挑戦しました。また、最後から3行目には担任団の先生方の氏名を1文字ずつ入れております。つたない文で恐縮ではございますが、78期の歴史・気概を感じ取っていただければ幸いです。」
- 卒業生293名全員の氏名から1文字ずつとって本文に組み込む。
- 最後から3行目に担任団の先生方の指名を1文字ずつ入れている。
僕は、本文を読む前に、この時点で仰天していました。新聞のテレビ欄の番組紹介文の行頭の文字を読むと文章になってる!っていうのがたまに話題になりますが、あれのめちゃくちゃスケール大きい版ですよね。293名全員の氏名から1文字ずつとって本文に組み込むって…。最後から3行目に担任団の先生方の氏名を1文字ずつ入れるって…。めちゃくちゃ難しいし、めんどくさいです。よくそんなこと思いつくし、思いついたとしても、よくやったなと。これはあくまで僕の想像ですが「卒業生みんなが喜ぶだろうから」「先生方が喜ぶだろうから」という理由でやったんでしょうね。卒業生一人ひとりにとって、先生一人ひとりにとって、世界にたったひとつの自分のために書かれた答辞だと思えますものね。みんなに喜んでもらいたいというサービス精神がすごいなぁと思ったのでした。
好きポイント② 全体を貫く「風」というテーマが素敵。
本文に入りますと、「バタフライエフェクト」というちょっと意外性のある始まりから、「令和」という時代、そして翻弄された「コロナ禍」というように、78期の歩みが「風」をキーワードに振り返られます。
本日体育館の外に吹いている朗らかで少し物寂しい風も、ともすると3年前・6年前初めてこの学校に足を踏みいれた時の肌寒く不安な風の名残なのかもしれません。
振り返ると78期は常に風と共に歩んできました。
令和最初に吹いた「風」は通常の「風邪」を遥かに凌駕した未知の感染症でした。
ですが、青臭いかもしれないが、コロナ禍を乗り越えた学年として、いやそうでなくとも78期として言わせてほしい。逆風を味わうことができるのは、前に進む者だけだ、と。
最後は自分たちを「風を受ける側から風をおこす側」になっていくであろうと述べ、結びに向かいます。風というテーマで通貫されているからでしょうか。気持ちのいい風が吹きぬけたあとのような、爽やかな読後感を感じるのでした。
好きポイント③ エピソードが鮮やかに目に浮かぶ。
- コロナ禍で「不要不急」の4文字に淘汰された期末試験、修学旅行、部活の試合。
- 3年ぶりの有観客開催となり、熱狂の渦を取り戻した桐朋祭。
- 無事に迎えられた高校修学旅行と、「7回学んで8回笑え」という修学旅行のスローガン。
- 学年目標を冠した「大鵬たれ」のパロディとして作られた、生徒による学年通信「馬鹿たれ」。
- 生徒会の意見箱に、右翼や左翼といった言葉を使って特定の政治思想を中傷するものが投書されていた。
僕は桐朋高校の卒業生ではありませんが、いずれのエピソードも情景が鮮やかに浮かびます。僕でさえそうですから、先生方や保護者の皆様にとってはなおさらでしょう。生徒しかわからないような内輪受けのネタに走らず、聴衆みんなが理解できて感情移入できるエピソードを選択しているところも、ある意味サービス精神の賜物なのかなと思います。ここ数年、あらゆる学校の生徒にとって「コロナ禍」はあまりにも大きな出来事だったと思うのですが、「コロナ大変だった→終わってよかった」という単純なストーリーになっていないところも、深みがあって好きです。
好きポイント④ パンチラインの量がヤバい。
パンチラインはひとつの文章に1つか2つあればいい方だと個人的に思っていますが、この文章では次から次へとパンチラインが繰り出されます。メインディッシュが次から次に押し寄せてくる、それでいてお腹いっぱいにならず、ずっと美味しく食べ続けられる夢のようなコース料理です。パンチラインは読む人によって感じ方が違うと思いますが、僕が心を打たれた言葉は以下のようなものです。
CreationとImaginationが同じ「そうぞう」という音なのは日本語の奇跡としか言いようがありませんが、僕達にとってこの両者はもはや同一でした。
僕達が一生かけて取り組む問題集には別冊の解答解説なんてついていません。
「学ぶ意味なんて学びきるまで分からない、でも意味がわからないから学ばないってのは、あまりに安直だよね」
逆風を味わうことができるのは、前に進む者だけだ、と。
「片方の翼だけでは、鳥は空を飛べません」
桐の朋。ですがけっして「これっきりのとも」ではないはずです。
これだけ多くの珠玉のパンチラインが入ったスピーチが、過去にあったでしょうか。
好きポイント⑤ 答辞とは何か、について考えさせられた。
どうしてこんなに人を感動させる文章を書けるんだろう。そんなことをぼんやり考えるうちに、そもそも答辞って何だろうというところまで考えさせられました。辞書を引くと「式場で祝辞・送辞などに対して述べる答えの言葉」とか出てきますが、もっと自分なりにしっくりくる定義がほしくなりました。で、考えて、自分なりにたどりついた定義はこうです。「答辞とは、おかげさまでこんなに成長しましたよというプレゼンテーション」なのだと。このプレゼンテーションを受けた先生方や保護者の皆様は、さぞうれしかったでしょうね。だって全然関係ない僕がこんなにうれしい気持ちになってしまっているのですから。
と、自分の好きポイントを書き殴ったところで、思いました。桐朋高校は一体どんな学校なんだろうと。気になった僕は、公式ホームページを見てまわりました。そこから2つご紹介して、終わりにしたいと思います。
1つ目は教育目標です。
自主的態度を養う
自分で考え、自分で判断し、自分で行動できる、そして自分のとった行動に責任の持てる、主体的で自立した人間に育ってほしいと思います。そのためには自学自習と創意工夫を心がけ、様々な活動の場に積極的に参加し、高い目標を持って意欲的な学園生活を送ることが大切です。本校は生徒の自主性が尊重される学校です。仲間との自主的活動の体験を通じて、一人ひとりが自主性や協調性を養い、一回り大きな人間に成長していくことを期待します。
他人を敬愛する
お互い同士、一人ひとりの人間として尊重し尊敬し合うということです。それぞれが掛け替えのない人間なのですが、特に若い人たちは、まだ現れていない未来の可能性をも含めて自分を大切にし他人を敬愛することが必要です。親子や家族の間の自然な敬愛から始まり、学校では友人との間、先生との間、先輩後輩の間に信頼関係や人格への敬愛が育ちます。協力し合って創造的な仕事もできます。やがて世界の人々の幸福を考えることにもつながっていきます。
勤労を愛好する
自分や自分たちの努力や働きで物ができたり、住みやすくなったり、だれかの助けになったりすることは、大きな人間的な喜びです。人々の勤労によって豊かな社会が築かれ、幸福な生活ができることをよく理解し、学校や家庭において自分も進んで働く、仕事をするという生活態度を身につけたいものです。本校では、日常において勤勉であることを求めるほか、様々な活動において仲間との分担・協力によって苦労と喜びを共通体験してほしいと考えます。
桐朋中学校・桐朋高等学校「教育目標」より
堅苦しい言葉ではなく、まるでひとりの先生が話しているような、心にすっと入ってくる素敵な文章ですね。答辞に登場する様々な人物や出来事を読んでいると、この教育目標が見事に実を結んでいるように思えます。
2つ目は、校長からのメッセージです。
時代を拓く「自律的な学習者」に
本校は、2021年に創立80周年を迎えました。卒業生は2万3千人を超え、さまざまな場で、新たな時代を切り拓く活躍をしています。教育において、一貫して大切にしてきたのは、探究心をもって学問に励む中で、自主・自立の精神を身につけ、互いの個性を尊重し、協働する姿勢を育むことです。
「『先行き不透明』『未曾有の国難』、こうした言葉は身の回りにあふれ、もはやありふれたものとなってしまっています。そうした危機が叫ばれる一方、救世主を受動的に待望する風潮があるようにも思えます。
しかし、先が見えないのは現代だけでしょうか? 歴史上全ての時代で、今我々が習う筋書きの如く事が進むと、誰もが見通せていたのでしょうか?」
(2012年3月 桐朋高等学校卒業式での答辞から)解決への道筋の見出しにくい課題が山積する現在、私は10年ほど前に卒業生が述べた、この言葉を思い出します。彼は続けて、尊敬できる仲間と切磋琢磨した体験を語り、周囲と力を合わせながら主体的に取り組むことの意義を経験した「桐朋での学び」を活かし、卒業生一人ひとりが「時代を動かす一因子」となり得ると述べました。
従来の常識が通用せず、閉塞感に苛まれる状況を切り拓く上で、真に必要となるのは、自らの意志で学び続ける姿勢です。新たな教育課程では、これまで以上に「自律的な学習者」の育成を強く意識し、指導してまいります。
哲学者の鷲田清一氏は、教育の勘所として、「そこにいれば子どもが勝手に育つような場所をきちんと用意しておくこと」を挙げています。授業をはじめ、生徒への働きかけにいっそうの工夫を凝らし、さまざまな仕掛けを施すことで、桐朋という環境のさらなる充実に力を注ぎ、「自律的な学習者」へと導いてまいります。
校長 原口 大助
桐朋中学校・桐朋高等学校「校長からのメッセージ」より
校長先生の挨拶文の中に、過去の答辞の文章が入っていることに驚きました。自分の挨拶文に過去の答辞を引用してしまうという器の大きさを感じると同時に、「桐朋高校では、先生と生徒が互いをリスペクトしながら対等の関係にあるのかもしれないな」と思うのでした。そして「自らの意思で学び続ける姿勢」は、大人の自分にとっても必要なのだと思うのでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。このような天才的なスピーチはなかなかマネできませんが、スピーチ原稿は基本的な考え方とスキルを身につければ、誰でも書くことができます。よろしければ、スピーチ原稿を書く僕を助けてくれる本5冊。もあわせてお読みください。あなたの人生にとって少しでもプラスになる情報をお届けできたらうれしいです。ではまた。
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